あの日の記憶が消えない理由を今もずっと探している。

8月の終わり。

会社を出ると、東京の夜風は少しひんやりと気持ち良くて、乗るはずのバスを見送り歩き出す。

あの日の歌を聞きながら歩みを続けると、涼しいとはいえまだ夏。少し汗ばんだ肌を感じながら、自転車と彼、緊張の中ただ前を見つめながら歩いたあの暑い夏の夜に、また立ち止まる。






夏は確かに過ぎていくのに、今もまたあの夏の日を何度も繰り返して思い出す。





あの夜、ぼくの宿泊先のホテルの前で待ち合わせをした。木の下に用意されたベンチにすらっと背の高い彼の姿を確認する。「初めまして」と挨拶を交わしてすぐに、彼の横にある自転車を止める為の駐輪場を探して歩いた。

近くの駐車場はスタンドがないという理由で断られて、また少し先の駐車場へ歩き出す。とりとめもない会話を続けながら、自転車を止め、ホテルに戻った。



彼がコンビニのお弁当で食事を済ませている間に、ぼくはシャワーを浴びて、さっきまでの緊張と汗を洗い落とした。入れ違いで彼がお風呂場へ向かい、石鹸の匂いに包まれた二人がベッドに潜り込む。

眠れない間も沈黙と出会う前の時間を埋めるように、途切れることなく話を続けた。



好きな食べ物はカレーライスで、苦手な食べ物はシュウマイ、餃子、春巻き。自転車で走るのが好きで旅に出ること。元彼との苦い思い出話、大好きなおばあさんにご不幸があったこと。一人で暮らす広島の地が大好きで、宮島の厳島神社、悲しみと希望に満ちた平和記念公園、あげもみじにあなごめし。

彼の好きなもの、苦手なもの。悲しいこと、嬉しいこと。


自然と耳に残っていく。


会話もひと段落すると、今度は彼の提案で眠りにつくまでしりとりをする。

笑いながら、お互い何度も単語を送り合ううちに、少し間をおいてキスをした。


今までにないような優しいキス。


その後は、少しずつ確かめるように身体を重ねる。心地良い時間を堪能し、気がつくと窓の外は少し明るい。

その後、数時間の眠りにつき、彼は仕事に向かう為、眠い目をこすり支度を始める。


片方の靴下を手に取り、ぼくが潜るシーツの隣に座って足を通すと立ち上がり、もう片方の靴下を手に再びぼくの脇に腰を掛けるそのソワソワと落ち着かない様子が愛おしくて、苦しくなる。

「眠ってていいからね」と彼の大きな手が優しく頭を撫でる。



お別れのとき、苦しくなるくらいにぎゅっと彼を抱き締め、小さなホテルの一室にある小さなドアから出て行く彼の後ろ姿を無言のまま見送った。



二度と会えないかもしれないという不安な気持ちと心に残った彼を愛おしく思う気持ちが重く苦しい。


目を滲ませて、彼のいない小さな部屋のベッドに横たわり、ぼくはまた眠りについた。







あの日から41日が過ぎ、数え切れない数の言葉を交換した。




千葉県と広島県
今日もまた、会えない時間と不安な気持ちが平行して大きくなる。


答え合わせのできない二人の未来を何度も繰り返し探してしまう。



そんなことを思いながら、ベッドの上で揺れる携帯電話の液晶を眺めて彼からのメールを確認する。



不安な気持ちと毎晩届く小さな喜びに思いを馳せて、少し涼しい夏の終わりに、目を閉じて深い眠りにつく。





ぼくはきっと、あの日の記憶が消えない理由を今もずっと探している。